「ラストオブアス パート2」大炎上した内容を徹底解説してみた。

ゲーム

こんばんは、まんじろう(@manjirooblog)です。

この記事では、あまりにも容赦の無いストーリー展開で発売直後に大炎上してしまった名作「The Last of Us Part2 -ラスト・オブ・アス2-」について、炎上した内容ごとに徹底的に解説し、1人でも多くの人にこの作品の魅力と功績を気付いてもらおうと試みる記事になります。

ですので、この記事は完全にネタバレ記事となっております

まだ未プレイの方は絶対に読まないでください

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「The Last of Us Part2 -ラスト・オブ・アス パート2」徹底解説

「今までに体験したことの無いゲーム体験をさせてくれた名作」

はじめに、私個人の感想で言うと「今までに体験したことの無いゲーム体験」をさせてくれたゲームとなりました。賛否両論のストーリーについても初見時は、私も度肝を抜かれながら、後半は辛い思いをしながら最後までプレイすることとなりました。

クリア後に様々な感想やレビューを目にして、多くの気付きや発見が有り、総合的に自分の中で解釈した結果、この「ラスト・オブ・アス パート2」は「多くを犠牲にしてでも”ゲーム”ならではの貴重な体験を提供してくれた名作」なのではないかと感じております

それでは、巷で言われている炎上内容の1つずつに、できるだけ丁寧に独自解説をしていこうと思います。よろしければ、最後までお付き合いください。

Q:なぜジョエルは殺されなければいけなかったのか?

最初は当然、この問題になるかと思います。そして答えは「続編として描きたかった”結末”に必要であったため」だと思います。ここで言う”結末”については、後程ご紹介します。

ジョエルについては、前作のラストでいくら大切なエリーを救うためとはいえ、原因不明のウイルスに対抗できるワクチンを作れたかもしれないという“世界で唯一の希望”を、”たった1人のエゴ”により破り捨てたという紛れも無い事実があります。

前作のプレイヤー視点で言うと、ジョエルがした事は一見”正しい”事の様に思えるかもしれませんが、俯瞰して見ると「世界中の人間を救えたかもしれない希望よりも、たった1人の少女の命を優先した」ことになります。(1の冒頭で実の娘を理不尽に失い、1のラストでは冒険を経て親子のような絆で結ばれたエリーを助けようとするジョエルの気持ちは痛いほど分かりますが…。)

シアトルにて、エリーがノラを追い詰めた際に「あの男がした事で、一体何人死んだか分かってるの?」と問い返される場面があるように、その後ウイルスによって数多くの人が亡くなっていることは間違いないですし、2のラストでエリー本人もジョエルに「あたしはあの病院で死ぬはずだった。生きたって証を残せたのに、それを奪ったんだよ。」とエリー自身の意志とも合致しないことが明らかにされています。

そしてジョエルを殺すのが、父親を殺されたアビーであることも筋が通っているように思います。エリーを救い出すあの場面で、(ほぼ)武器を持っていなかった医師を殺す必要まではなかったと思いますし、「父親を殺されたからジョエルを殺したアビー」を否定することは、「ジョエルを殺されたからノラを殺したエリー」を否定することと同義だと思います。(この部分は、ほぼ無抵抗の相手であることも、棒状の物で嬲り殺すことも同じであるため、意図的に似せて作られているように思います。

最後に、「百戦錬磨のジョエルがあんな若者集団に負けるわけない」という”ご都合主義的な意見”もたまに見られますが、「自分が偶然雪山で助けた女性が、ドンピシャで自分に恨みを持っており、振り返りざまに右足をショットガンで打ち抜かれ、数人で取り押さえられた」ら、さすがのジョエルでも何も抵抗はできないとは思います。たしかに、あのシーンは観ていてかなり苦しかったですが…。

Q:なぜアビーを操作するパート、アビー編を挟んできたのか?

この答えは、「復讐に憑りつかれたエリーとプレイヤーを戦わせるため」だと思います。

エリーを操作する”エリー編”を進めていき、劇場にアビーが乗り込んできたタイミングで、唐突に時間が遡り、アビーを操作する”アビー編”に切り替わったこともなかなか驚いたのですが、それ以上にアビー編を同じ場面まで進めた結果、「アビーを操作してエリーと戦う」ことに驚愕してしまいました。そしてまた、復讐に憑りつかれたエリーがとても怖くて強い…

今作の大きなテーマでもある「復讐」がどういうものであるか?、「復讐」がどれだけ人を変えてしまうのか?を、あの”復讐に憑りつかれたエリー”と戦ったプレイヤーは全員思い知らされたはずです。このエリー戦では、1のデビッド戦に似た戦闘スタイルとなっており、見つかり捕まると即死させられてしまうため、本当に恐ろしかったです…。

もちろん“復讐”の対象であるアビー側にも事情があることを、プレイヤーに知ってもらう目的もあったかとは思いますが、それをムービーだけで済ますのではなく、エリーと同じぐらいの時間しっかりと操作させるように作られているのは、“復讐に憑りつかれたエリー”を客観的に見るため、感じるためだと思いました。(劇場での直接対決以後、ほとんどアビーを操作することが無いのは上記の役割を既に終えたからではないでしょうか。)

Q:なぜアビーはエリーを2度も見逃したのか?

1度目である、「アビー達がジョエルを殺した場面で、エリーやトミーを殺さなかったのは詰めが甘すぎる」という意見も見られましたが、初見時ではとんでもない悪党一味のようにしか見えなかったアビー達も、仲間内で意見がバラバラだったり(オーウェンは常に止めさせようとしてくれていました)、アビー本人も父親が殺された出来事を思い出さないとジョエル殺害に踏み切れないくらいには迷いが見受けられました。アビー達もジョエルを殺すことで精一杯だったのではないかと思います。(アビー編では、あそこにいたメンバーがジョエル殺害のことを引きずっている様子も見受けられます。)

2度目である、エリーとの直接対決を繰り広げた劇場での場合は、もちろんレブの存在が大きかったこともあると思いますし、やはりジョエル殺害の後味に苦しんでいたのではないでしょうか?(アビー編でヤーラとレブを救った理由として、アビーは”罪悪感”と答えています。少しでも善い行いをして、ジョエル殺害の罪悪感を薄めたいようにも見えます。)

Q:なぜエリーは家族を捨てて再び旅立ったのか?

劇場での直接対決の後、エリーは農場にてディーナとJ.Jと3人で平穏に暮らしていました。そんな幸せな生活を捨ててでも、なぜ1度復讐に失敗しているアビーの元へ再び旅立ったのでしょうか?

恐らく、「エリーが再び旅立った理由は、”復讐”ではなく”トラウマ克服”のため」ではないかと思います。農場にトミーが訪ねてきてアビーへの”復讐”を焚き付けられた際、エリーは全然乗り気ではありませんでした。それは、今の平穏な暮らしがあるのと同時にシアトルで行ってきた”取返しのつかない行為”にエリー自身が後悔しているためだと思います。(ノラを拷問/殺害した後にアビーの居場所を指差す手が震えていたことは、ジョエルの自宅を訪れる際に手が震えていたことと同じ。メル/オーウェンを殺害してしまった後に「ごめんなさい」と言ってしまっていること、その後の周囲の音が遠のいていく感じが、ジョエル殺害時と同じ感覚であることは、“シアトルでの復讐”はエリーにとって”ジョエル殺害”と同じレベルでトラウマになっていることを表していると思います。)

それなのに、再びアビーの元へ旅立った理由は、その“トラウマと向き合うため”。ディーナ、J.Jとの暮らしの中でも瞬間的に”ジョエル殺害”のトラウマがエリーを苦しめていました。このトラウマと向き合って解消(=アビーを殺すことでは無く、やられっぱなしで済ませないこと)しないと、これから先を生きていくことができないと考えたのだと思います。

今作のラストでは最終的にアビーを見逃したにも関わらず、本編クリア後のトロフィーが「やらなければならなかったこと」として達成されるのはそういうことなのではないでしょうか

補足として、エリーやアビーのポリコレ要素については正直、周囲が過敏になり過ぎだと感じました。アビーの体がムキムキなのは、あの過酷な世界で負けないよう(その一部に父親の復讐も含まれている)に鍛えただけの話で、別にエリーやディーナが”女性を好き”であっても良くないですか?それは立派な個性だと思いますし、もしそれで仮に、本編では一切描かれていない「”免疫”の謎がセクシャル・マイノリティに深く関係していた」とかになったら、みんな急に手のひらクルンとなりそうですしね(笑) 好きな人ぐらい、自分で好きに決めるべきなのでナンセンスだと思います。

Q:なぜエリーはアビーを殺さなかったのか?

これも比較的大きな問題だと思いますが、「(プレイヤーは知ることができたが、)エリーはアビー側の事情を一切知らないはずなぜ、あそこまで追い詰めたのにアビーを殺さなかったのか?

たしかに、エリーはアビー側の事情をほとんど知らないと思います。恐らく、レブと一緒に行動している理由すらも知らない、ほとんどが謎に包まれた人物のままだったと思います。(ノラからどこまで情報を聴きだしたかは不明ですが、自身の感染が確定してしまったあの状況で「友達を売る気はないね」と言い放てるノラはあまり口を割らないタイプのようにも思えます。劇場でアビーに銃を向けられた際も、アビーに対してなかなか見当違いのことを言っていますので。)

ではなぜ、アビーを殺せる直前まで追い詰めたのにエリーはアビーを殺さなかったのか。それは前述の通り、「エリーが再び旅立った理由は、”復讐”ではなく”トラウマ克服”のため」だったからだと思います。もし“復讐”が目的であるなら、浜辺で吊るされているアビーにナイフを突き刺せばそれで良かったはずです。でもそうしなかったのは、戦意を喪失したアビーでは意味が無いから、ほぼ無関係のレブを人質に取ってでも、殺気に満ちたアビーと戦わなければいけなかったから。

使えば簡単に殺せるはずの銃が入っているバックパックをボートに置き、自分自身の血を見て“殺されたジョエル”を思い出し、アビーを殺そうとします。ですが、まさにアビーを殺せる直前に“最期に会話した時のジョエル”を思い出してしまいます。

ここは色んな意見があると思いますが、個人的に2つの意味だと解釈しました。
・今ここでアビーを殺すと、”レブにとってのジョエルを殺すことになってしまう”こと。
・ジョエルとの最期の会話にあった、“許せない、でも許したいとは思ってる”こと。

恐らく自分が一生許せないと思うようなことを、「もしも神様がもう1度チャンスをくれたとしても、俺はきっと同じことをする」と言うジョエルに対しても、「わかってる」で返せるくらいに認めているジョエルのことを”許す”ことができずに終わってしまったからこそ、アビーへ「あの子と一緒に行って」と”許す”ことができたのではないかと感じました。

そしてこの場面で、もう1つグダグダ言われている「なぜアビーを殺すか殺さないかを選択式にしてくれなかったのか?」という問いに対する答えは簡単です。

「私達プレイヤーは”エリー”ではない」からです。

Q:なぜこの内容を「ラストオブアス」の続編として制作したのか?

ここで、冒頭に言っていた「続編として描きたかった”結末”」に繋がるのですが、ラストオブアス パート2で描きたかったのは「1のラストで出来てしまったジョエルとエリーの”わだかまり”を解消したかった」のだと思います。

最愛のジョエルを殺したアビーを”許す”ことが出来たことによって、エリーは許せないけど許したいと思っていた”ジョエル”を、そして免疫を持ちながらも世界の役に立てずに多くの人を死なせたと思い込んで許せなかった”エリー自身”を許すことができたのではないかと思います。

「ラストオブアス1」が名作であることは誰もが認める事実だと思いますが、ラストのラストにジョエルとエリーの間に”嘘”という大きな”わだかまり”が出来てしまったことも事実です。

その”わだかまり”の解消を、他のゲームでは決して選択しないであろう一般受けの壁を突き破って、多くのゲームプレイヤーの心を限界まで掻き乱す方法で表現したゲームこそが「ラストオブアス パート2」ではないでしょうか?

これは“パート2”なので、これも含めて「ラストオブアス」であり、2のラストで”ジョエル”の象徴でもある”ギター”を置いてエリーが1人で先に進むことで、しっかりとジョエルとエリー(アス)の最後(ラスト)を描ききったのではないでしょうか?

今作の冒頭であれだけ憎かったアビーのことを、浜辺での最終決戦時には多くのプレイヤーがもうやめようよ?と許していたんじゃないかなと思います。それだけ、あの死闘は両者をプレイしたプレイヤーからすると観てて辛かったと思います。

ゲーム冒頭からゲーム終盤までのこの”感情の振れ幅”こそが「ラストオブアス パート2」の”功績”であり、それに耐えることができなかった人が、「こんなのラストオブアスじゃない」と拒絶しているように私には見えてしまいます。(たしかにそれぐらい辛い体験ではありましたので、そういう方がいても全くおかしくはないと思います)

でも、ほんの少しだけでしたが、エリーの誕生日にジョエルが博物館に連れて行く唯一の”幸せでしかないエピソード”も見れて嬉しかったですよね? そして何より、“ジョエルの嘘”が解消されて本当に良かった。エリーの「でも、許したいとは思ってる」が聞けて本当に良かった

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おわりに

以上、多くの人の心を見事なまでにぐちゃぐちゃに掻き乱してくれた名作「The Last of Us Part2」について、大炎上の原因となったほとんどの内容に自分なりの答えをご紹介できたかと思います。

ここまで賛否両論がハッキリ分かれる”作品”に出逢えることはとても幸せなことではないでしょうか?時間を置いて、再度プレイすればまた違う印象を感じることができるかもしれませんね。

長文に最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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